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徳川家康(とくがわいえやす)
天文11年12月26日(1543年1月31日)-元和2年4月17日(1616年6月1日)

出自は三河(みかわ)の土豪・松平(まつだいら)氏。1567年徳川(とくがわ)氏に改める。
1560年桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)で今川義元(いまがわよしもと)が織田信長(おだのぶなが)に討たれた後、信長と同盟を結ぶ。1582年本能寺の変(ほんのうじのへん)で信長が明智光秀(あけちみつひで)に討たれると、関東の北条氏、越後(えちご)の上杉氏と争い、さらに勢力を広げた。
1584年小牧・長久手の戦い(こまきながくてのたたかい)で豊臣秀吉(とよとみひでよし)と対決し負けはしなかったが、最終的には豊臣氏に従うこととなる。北条氏が滅亡後に関東に移封される。豊臣政権では五大老の筆頭となった。
秀吉没後の1600年関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)に勝利して覇権を握ることになる。1603年には征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命され江戸幕府を開く。1614年~1615年にかけての大坂冬の陣・大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼして、徳川政権を磐石なものとした。