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徳川秀忠(とくがわひでただ)
天正7年4月7日(1579年5月2日)-寛永9年1月24日(1632年3月14日)
江戸幕府の第2代征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)。
徳川家康(とくがわいえやす)の三男として誕生。長兄・信康(のぶやす)は秀忠の生まれた年に切腹。次兄・秀康(ひでやす)は豊臣秀吉(とよとみひでよし)の養子となり、その後、結城(ゆうき)氏を継いだため、秀忠が実質的な後継となる。
1600年の関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)では、中山道を進む別働隊を率いるが、関ヶ原本戦に間に合わないという大失態を犯す。戦勝祝いと弁明のため家康に面会を求めたが断られ、3日後にようやく面会したと言われている。