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足利尊氏(あしかがたかうじ)
嘉元3年7月27日(1305年8月18日)-延文3年4月30日/正平13年(1358年6月7日)

はじめは、得宗・北条高時(ほうじょうたかとき)の高の字を受けて高氏(たかうじ)とする。兵を挙げた後醍醐天皇(ごだいごてんのう)討伐のため幕府軍を率いて上洛するが、後醍醐天皇側に寝返った。幕府滅亡の功績を認められ、後醍醐天皇の諱・尊治(たかはる)の尊の字をを受け、名を尊氏(たかうじ)に改める。
後醍醐天皇の独裁体制である建武の新政(けんむのしんせい)に従うが、中先代の乱(なかせんだいのらん)で弟・足利直義(あしかがただよし)救援のため出陣する。乱を平定後は、鎌倉に留まり独自の基盤を築き始める。このため後醍醐天皇とは決裂。激しい攻防の末、京都を抑える。光明天皇(こうみょうてんのう)を擁立して征夷大将軍に任命され足利幕府を開いた。