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室町時代
(1)鎌倉幕府の滅亡
北条時宗(ほうじょうときむね)の孫にあたる得宗・北条高時(ほうじょうたかとき)の時代、天皇親政を目指す後醍醐天皇(ごだいごてんのう)を中心に護良親王(もりながしんのう)や河内の豪族・楠木正成(くすのきまさしげ)らは、討幕の軍事行動をおこします。これを阻止すべく派遣した幕府軍の足利尊氏(あしかがたかうじ)らの寝返りや新田義貞(にったよしさだ)らの鎌倉戦によって、鎌倉幕府は滅びます。
(2)建武の新政(けんむのしんせい)
後醍醐天皇による新しい政治は、やがて独裁政治になっていきます。貴族本位の政治を行う新政治に武士層の不満が高まります。そのころ北条高時の子である北条時行(ほうじょうときゆき)が建武政権に対して反乱をおこします。中先代の乱(なかせんだいのらん)です。その反乱を鎮圧するために京都から出陣した足利尊氏は、時行を撃破した後鎌倉に入り今度は後醍醐天皇に反旗を翻します。
(3)南北朝
1336年足利尊氏は光明天皇(こうみょうてんのう)を立て、建武の式目(けんむのしきもく)という政治の方針を発表します。しかし後醍醐天皇もまた奈良県南部の吉野で天皇のシンボルでもある三種の神器(さんしゅのじんぎ)を手に天皇存続を主張します。南の吉野を南朝、京都を北朝と呼び、南北朝の対立がこの後続きます。
(4)足利幕府
1338年光明天皇から征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命された足利尊氏は足利幕府を開きます。3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の時代に御所が花の御所(はなのごしょ)に移り、室町幕府といわれるようになります。足利義満は有力な守護大名を次々と弾圧し、また勘合貿易(かんごうぼうえき)など経済活動にも力をいれ足利幕府を磐石なものとしていきます。義満の時代には南北朝の対立も解消されます。