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ヤマト政権と古墳時代

(1)ヤマト政権
現在の奈良県にあたるヤマトの支配者つまり大王(おおきみ)が全国の頂点であったとされています。
血縁でつながる氏(うじ)を単位にして姓(かばね)という称号を大王が与えました。この制度を氏姓制度(しせいせいど)と呼びます。
畿内の豪族には臣(おみ)や連(むらじ)、地方の支配者や豪族には君(きみ)や直(あたえ)などが与えられました。臣や連を束ねて大王を支えたのが大臣(おおおみ)・大連(おおむらじ)です。

(2)古墳文化
3世紀後半にヤマトに前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)が現れてひろがっていきます。5世紀に古墳が巨大化し有名な仁徳天皇陵や応神天皇陵ができます。しかし6世紀以降には古墳は小型化し円墳が大量に作られます。
石の部屋に遺体を葬り、棺やその周囲にはさまざまな副葬品(ふくそうひん)が納められています。そして墳丘の周りには埴輪(はにわ)が並べられます。









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