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浪江町伝統工芸品【復興支援・大堀相馬焼 走り駒シルバーネックレス】

復興支援・大堀相馬焼 走り駒シルバーネックレス



地震で割れた陶器
原発事故で消えた窯の火
2011年3月11日14時16分、太平洋三陸沖を震源としたマグニチュード9.0の大地震が発生。その地震によって大規模な津波が発生。岩手県三陸南部、宮城県、福島県浜通り北部では津波の高さが8m〜9mに達し、甚大な被害をもたらした。

一方、地震と津波により福島第一原子力発電所事故が発生し、10万人を超える被災者が屋内退避や警戒区域外への避難を余儀なくされた。


地震、津波、原発事故の三重苦に向き合う大堀相馬焼

「浪江(なみえ)町」

あの大震災のとき、テレビ画面の中で、キャスターは何度その単語を口にしたでしょう。新聞の紙面に、何度その名前が掲載されたでしょう。

「福島浜通り」

この名前も、何度もみなさんの記憶に残っていると思います。

福島県は、「西部の会津」「中部の中通り」「東部・海側の浜通り」の3つの地域で構成されており、浪江町は、浜通りに含まれています。

「浪江町」=「原発被害」という印象が強いのかもしれませんが、東北地方太平洋沖地震による被害も大きく、震度6強を観測したうえ、地震が引き起こした大津波によって町の沿岸部は壊滅的被害を受けました。その上に、この原発事故。
(3月11日以降も、大きな余震は続き、1カ月後の4月11日には、マグニチュード7.0 の 福島県浜通り地震も発生しています。)

地震、津波、原発事故―
その三重苦にさらされている町が「浪江町」です。



その浪江町には、江戸時代後期から300年以上続く伝統があります。
「大堀相馬焼」。この焼き物は、美しさや技術力の高さが認められている上、1978年には国の伝統工芸品の指定も受け、多くの方々に愛されてきました。

大堀相馬焼の釜元は、福島原発から10kmの地点に位置しており、強制避難区域とされた地区になります。
大堀相馬焼協同組合、そしてたくさんの窯元も産地からの避難を余儀なくされました。

生まれ育った場所、生きてきた場所、そして先祖から受け継いできた場所ー
その場所を離れるということは、そこで培ってきた技術や伝統を失うということー


300年以上の伝統を誇る大堀相馬焼 二重焼の湯のみ
強制避難区域から窯元が命をかけて持ちだしたもの
設備もない、場所もない、自分の生活もままならない、何も先が見えないー
文字通り、すべてを失った彼らに残されたのは、地震で割れてしまった「大堀相馬焼のかけら」たちでした。

いつ終わるかわからない余震、先の見えない原発の状況。
強制避難区域に指定され、その立ち入りが制限区域に指定される中、窯元の職人たちが意を決して持ちだしたのは、かつて美しい大堀相馬焼であった、陶器のかけらだったのです。

それは、決して、どこかに処分されるべき瓦礫(がれき)などではありません。
職人たちの魂のかけらでもあり、命であり、未来への復興の源なのです。


本当の大堀相馬焼はこの先30年作れないかもしれない

移転先の「陶芸の杜 おおぼり 二本松工房」

工房に並べられる大堀相馬焼の作品の数々
.大堀相馬焼の窯元は、2012年7月に二本松市の協力を得て二本松市小沢工業団地に「陶芸の杜 おおぼり 二本松工房」として、その活動を再開させました。

陶器というものは、その土地の独自の環境から生まれるものです。
窯元の移転に、震災から1年4ヵ月もの時間を要したのは、大堀相馬焼のある事情によるものでした。

大堀相馬焼の特徴のひとつでもある青ひびは、その釉薬(うわぐすり)によるものです。伝産指定釉薬「青磁釉」は、焼くことにより青みのある透明なガラス質になり、その原料である「砥山石(とやまいし)」は、浪江町でしか産出されません。

窯元の移転にあたっては、この代替技術を開発することで、「砥山石」を用いることなく、大堀相馬焼の青ひびを再現しています。また、窯元の再建、移転に時間がかかった理由のひとつでもあります。

今、二本松市で作っている大堀相馬焼は、作り手こそ、大堀相馬焼の窯元たちですが、二本松市の土地(土や水など)、代替材料から生まれたものです。あくまで、浪江町の「代替」であって、本当の意味での大堀相馬焼は、浪江町でしか作ることはできません。

けれど、その浪江町は放射能に汚染され、立ち入りが制限されている。

原発の問題がすべて解決し、浪江町へ町民が、大堀相馬焼の窯元たちが戻れるのは、30年先とも50年先とも言われています。 300年続く大堀相馬焼の伝統が、その産地を奪われることは、伝統が途絶えるに等しい、危機的な状況です。

大堀相馬焼の伝統が消えてなくなってしまうかもしれない
大堀相馬焼 と 私たち シルバー&革アクセサリー AJINA のかかわりは、ひとりの若者の活動からはじまります。
大堀相馬焼の歴史ある窯元のひとつである、松永窯の当代松永和夫氏のご子息、武士さんからご連絡をいただき、お会いさせていただいたのが、
昨年(2012年)の秋頃の話。

私たちの「マネークリップ.com」のサイトを見て、連絡をいただいたとのことで、彼の手には、「大堀相馬焼 × マネークリップ の商品開発の提案」という企画書がありました。

このままでは大堀相馬焼の伝統が消えてなくなってしまうかもしれない。陶器のかけらを用いて、大堀相馬焼を何とか復興できないか。マネークリップのような面白いアイテムと組むことで、たくさんの人に、大堀相馬焼を知って欲しい。

恥ずかしながら、そのときまで、大堀相馬焼という焼き物について、まったく僕らは知りませんでした。けれど、話を聞くに連れ、また、その場で見せていただいた陶器の輝きに触れるにつれ、その魅力に取りつかれたのです。

そして、何よりも、一緒にマネークリップを作りたいと、他のどのショップ・工房ではなく、僕らに声掛けをいただいたことが嬉しく、大堀相馬焼 × AJINA の特別マネークリップを作成させていただきました。


あれから2年。今、僕らにできること、やらなければならないこと
大堀相馬焼 × AJINA のマネークリップの販売をする一方で、それとは別に、何かこちらから商品の提案ができないか、と思ったことも事実です。

大堀相馬焼の良さを生かした新しいアイテム。
残された陶器のかけらを、どうすれば生かすことができるのだろうか。

私たちシルバー&革アクセサリー AJINAでは、復興支援のひとつとして、「PRAY FOR XX.. 」を制作しました。

被災地の惨劇を伝えるテレビやネット、新聞、雑誌などのメディアをまのあたりにして、その画面の奥で途方もない悲しみや絶望を抱えている人々がいる。

と同時に、それをただただ見るだけで、何もできない無力感。
何もできないのであれば、せめて祈ることで、何かを伝えることはできないだろうか。

そんな思いから始めたプロジェクトですが、2年間で総計500名の販売をすることができ、義捐金という形での被災地支援もさせていただくことができました。

けれど、2年間という月日は速いものです。震災から時間が経つにつれて、少しずつ世の中の視線が、被災地から離れ始めていることも、間違いのない事実です。

だからこそ、今、もう一度、この歴史と伝統のある大堀相馬焼を使ったアクセサリーを作ることで、僕たち自身も次のステップの仕事ができるのではないかと、考えたのです。

大堀相馬焼の美しさ、技術を、何らかの形で表現することはできないかー

試行錯誤を重ねた結果、ひとつの商品として作成したのが、
この 大堀相馬焼 走り駒シルバーネックレス です。

陶器のかけらを、ただただシンプルにシルバー950 で囲いました。

大堀相馬焼は、「二重焼」という独特の技術が用いられているため、湯呑みなどにした場合に、湯が冷めにくいと言われています。
震災があって、この一連の流れを見て思うのは、その冷めにくいものとは、「大堀相馬焼」自身であるかのような気がします。

その「冷めないもの」をネックレストップとして閉じ込める。
けれど、その閉じ込めたところから、走り駒が飛び出していくような躍動感。

大堀相馬焼の積み重ねてきた歴史、この東日本大震災に向き合う災難
そして、それに負けずに立ち上がろうとする強い気持ち。

それこそが、大堀相馬焼自身が持っている「冷めないもの」なのではないかー
僕らはそう考えたのです。

繰り返しになりますが、この大堀相馬焼のかけらは、浪江町生まれの、正真正銘、純粋な大堀相馬焼です。 350年の伝統を持ちながら、原発問題が収束し、浪江町に窯元が戻れる日が来るまで、作ることができないもの―

そして、震災の惨事をすべて留めている、記憶のかけらであり、大堀相馬焼にとっては、希望のかけらなのかもしれません。

チャリティアイテムではなく、商品としての大堀相馬焼 × AJINA のネックレス
この商品はいわゆるチャリティ・アイテムではありませんし、そうである必要もないと思っています。あの日から2年の月日が流れ、同じ空の下、不自由な暮らしを強いられながら暮らす人々がいる。そして、今まさに、絶滅の危機に瀕している伝統工芸品がある。

その一方で、残念なことに世の中の流れとして、
急速にあの出来事が風化していくことも事実です。

商品として流通し、お金が動くことで、そこにはマーケットが生まれ、産業になります。大堀相馬焼というブランドが、もし30年後にもう一度立ち上がるためには、大堀相馬焼自身をマーケットの中にブランドとして残しておくこと、
維持していくことが必要だと思うのです。

大堀相馬焼の美しさは後世に残すべきもの
大堀相馬焼の歴史と伝統。
そして、作り手である窯元の方々に、最大限の敬意を表しながら、その一部を拝借し、コラボ商品として作成させていただきました。

そうすることで、復興支援という条件つき、期限つきのプロジェクトではなく、永続的なアクセサリー販売として大堀相馬焼に関わらせていただくことができます。

また、湯のみ、お茶碗などの大堀相馬焼の本来の形での商品も、新しい土地でどんどん生まれています。ご興味ございましたら、そちらも是非ご覧ください。


本当に長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ひとりでも多くの方に、大堀相馬焼の名前を、その歴史と伝統を、技術を。そして、そこに生きるたくさんの窯元の職人さんたちがいることを知っていただければ、これ以上に嬉しいことはありません。

大堀相馬焼 走り駒シルバーネックレス
大堀相馬焼の色合いがよく出ているものを3色選び、形を整え、ネックレストップにしています。大まかな色は、ご自由にお選び下さい。

形については、あくまでもかけらを元にしたネックレストップになりますので、その性質上、ひとつひとつの形や、輝きは微妙に異なります。世界にひとつだけしかない、大堀相馬焼のネックレスの色合いを是非堪能して下さい。

裏面にはシリアルナンバーとお名前を刻印しております。シリアルナンバーにつきましたは、販売順に刻印しておりますので、まことに申し訳ございませんが、番号はお選びいただけません。

刻印のお名前については、アルファベット(大文字)と数字で、5文字程度まで刻印可能です。(写真では、当店のブランド名 AJINA と刻印しております。刻印の要望がなければ、AJINAと刻印させていただきます)

そして、その下には、大堀相馬焼の特徴のひとつ、「走り駒」。まるでシルバーの銀面から飛び出して来そうな、躍動感のあるイメージに仕上がっています。





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